新しいタイ語
ตุ๊ด
トゥトゥ➞女になりたい男のことで女のような行動と態度をとる。
ย่านบางลำพูมีพวกตุ๊ดคอยหากินกับฝรั่ง
(英)Toosieという映画のタイトルから来ている。
<จ่าสูทแดง>
<赤いスーツの警察准尉>
5月14日に国会において15日目になった憲法改正論議第2読会が終了した。次は憲法の規定通りに15日後に第3読会で採決が行われて全国でส.ส.ร.の選挙があり各県1人の77人と指名の22人が選ばれ憲法草案議会が動き出すことになる。15日間の論議は主に委員会提出の291条26項目に対して野党民主党と一部上院議員が修正案を説明するということで行われたわけであるが、修正されたのは291/5だけで残りはすべて委員会の案が通ったことになる。2550年憲法を破棄することになる新憲法で反対派が一番こだわっていたのは司法制度と独立機関の存続だったと思う。そして民主党はさっそく国家調査員委員会と憲法裁判所に対して今回の憲法改正が憲法違反であると訴えるようである。
憲法改正論議第2読会は委員会の案に反対する野党民主党と一部上院議員が修正案を説明するということで与党であるプアタイ党の議員の出番は投票のときに委員会案に賛成するか、反対派が用いた説明の引き伸ばしや案から外れた論議になったときにประท้วงと抗議するだけだったようである。しかし論議の進行には必要な事項で野党民主党の論議を野放しにしていると新しい憲法がタクシン元首相とそのグループのためだけに作成するのだという論法で終わりがなかっただろう。では2550年憲法がタクシン元首相とそのグループを追い出すための憲法であったということについてはどう考えているのかおそらく誰も語れないであろう。
さてประท้วง抗議の回数が一番多く目立っていたのがのがプアタイ党のจ.ส.ต.ประสิทธิ์ ไชยศรีษะプラシット・チャイシーサ議員である。スリン県選出の議員で元警察准尉である。この人が国会に赤いスーツを着てくる時は上から下まですべてが赤で携帯電話も赤ということである。父親がスリン県の一つの村の村長で民衆を愛した父親の影響で警察官になり政治家になり民衆のために仕事がしたいということである。国会議員にしては財産が少なすぎる人であるが持っている2台の車のうちの1台はクボタの耕運機ということである。
<ยิ่งลักษณ์ทัวร์ปัตตานี>
<インラックパタニーツアー>
4月29日にはユッタサク副首相、プラユット陸軍司令官と共にパッタニー入りしたインラック首相は深南部の地域指導者と宗教指導者と出会い、政府が深南部の正常化と経済活性化に向けて真剣に取り組んでいるということを説明したようである。それに対して宗教指導者はこの時期の不安定で危険な深南部に首相自らが来たことを感謝するとともに、2年8ヶ月の民主党政権のときにアピシット前首相は深南部に一度も足を踏み入れたことがなかったと語った。またこの前日にはヨンユット・ウィチャイディト 副首相兼内相、キティラット・ナ・ラノーン副首相兼財務相、ナタウット・サイグア農業副大臣がヤラーに先入りして深南部から集まってきた政府関係者、実業界の人たちに対して深南部においての経済活性化を図る政府の政策を発表した。特に3年後のアセアン経済共同体に向けたイスラム教徒が食べられるハーラル食品を作る工場の拡張と南部のシンボルであるゴム園の拡張について説明していた。現在のところタイ全国でゴム園は1,800万ライあり、国に与える収入は6,800億バーツで2556年には1兆バーツにもなるということである。この3人の閣僚を見るとヨンユット・ウィチャイディト 副首相兼内相はスラータニー出身でナタウット・サイグア農業副大臣はナコンシータマラート出身で二人とも南部の人である。そしてキティラット・ナ・ラノーン副首相兼財務相は名前が示すとおりにラノーンには深い関わりがあり、ラッタナコーシン初期に中国から移民してきた子孫である。また先祖はマレーシアからゴムの木を持ってきてトランに初めて植えた人であるということである。
インラック首相の深南部入りについては、さっそく民主党のチャワノン報道官は、首相の深南部入りはいいことだがハジャイとヤラーでの同時爆発はタクシン元首相がマレーシアにおいて分離主義者と話し合ったのが原因であるという、まったく根拠のない情報をもとにした作り話を否定されても、嘘だというのが証明されても使っているようである。その上に民主党の根本の認識ではテロをやっているのは分離主義者ではなく、麻薬密売業者、人身売買組織、非合法燃料売買組織、関税を支払わない不法商品を取り仕切っている組織がやっているということである。
<นโยบายเร่งด่วน>
<緊急の政策>
2554年8月にインラック政権が発表した初年度における緊急の政策は16項目あり、その中の16番目は次のとおりである。
16.เร่งรัดและผลักดันการปฎิรูปการเมือง 政治改革を急いで推し進める。
この政治改革こそが新しい国民憲法を作っていくことで、2月には閣僚案、下院の与党議員案、チャートタイパッタナー党案の3案が国会に提出された。3案共に2550年憲法の291条を改正して憲法草案議会を立ち上げることでは一致していたようである。2550年憲法は291条において一部の修正しか認めていず憲法草案議会を立ちあげて新しい国民憲法を作るには291条の改正が必要なようである。
291条3 改正動議は改正憲法案として提出しなければならず、国会が三読会にわたり審議する。
しかしこのやり方が正しいのかどうかは、最後に行われる国民投票で判断されるのかそれとも国民投票の前に憲法裁判所が判断するのかどうなるのだろう。2550年のクーデター憲法を作った人たちはいずれはこの憲法が破棄されることを予想していたと思う。故に291条という解釈しにくい条項を入れたような気がする。
いずれにせよ国会では賛成399、反対199で291条の改正はとおり、プアタイ党のサーマート・ケーオミーチャイ委員長のもとプアタイ党議員19人、民主党議員11人、プームチャイタイ党議員2人、パランチョン党、チャートタイパッタナー党、チャートパッタナー党各1人、上院議員選挙選出7人、上院議員任命選出3人の合計45人で憲法改正草案検討委員会ができた訳である。そして委員会が作成した291条の改正案の論議が国会における第2読会で続いていて民主党と一部の上院議員が反対の修正案をだして論議をしているところである。来年には出来上がる新しい国民憲法であるがどのような憲法ができるかは今のところ分からないが与党が省きたい2550年憲法でのおもな条項は次のとおりである。
111と114条 上院の任命について
206条 有識者判事の選出
237条 政党幹部が関わった不正選挙による解党
265条 国会議員の禁止行為
266条 国会議員の干渉禁止事項
309条 クーデタ体制下の施策に対する訴追不可
<รดน้ำดำหัว>กับ<รดน้ำเถ้ากระดูก>
<ロットナームダムフア>と<遺灰に水を注ぐ>
4月26日、バンコクのシーサオテーウェートにあるプレーム・ティンスラノーン邸に首相と3人の副首相が訪れソンクラーン新年の議式の一貫であるダムフアがおこなわれた。この儀式は密教にある灌頂によく似ていて師が弟子の頭に聖水をかける儀式である。ソンクラーンはインドから来た習慣なので仏教の儀式のようにも思われるが、キリストがメシアという意味で元来は頭に油を塗られたものが王になったというのが救世主の意味になったことを考えると、この習慣はインドとユダヤとともにメソポタミアから始まった習慣という気がする。今回のダムフアは進み始めているプローンドーンをより押し進める行為のようである。
一方、赤服集会があったラーチャプラソーン交差点では、この時の集会鎮圧の犠牲になったガモンゲート・アッカハート看護師ボランティア、通称ノーンゲートの27才の追悼誕生日集会で母親のパヤオ女史はノーンゲートの遺灰に水を注ぐ仏教の儀式をやっていた。ノーンゲートは赤服集会には直接の関係はなかったが、看護師の仕事をやっていたのでボランティアとして2553年5月19日の集会鎮圧の時にはワット・パトゥムワナラームで鎮圧で負傷した集会参加者を助けていた。そして夕方の赤服集会解散宣言で集会が終わったあとワット・パトゥムワナラームで他の参加者5人とともに射殺された。事件から2年という時が過ぎているにもかかわらず事件の調査は30%しか進んでいないということである。集会における声明では政府が推進するプローンドーンには賛成だが、集会の鎮圧を戦争兵器を使用して実弾を使うという司令を誰が出したのか、その指令者をプローンドーンという和解案に入れるのは反対だということである。タクシン元首相のプローンドーンでは、すべて忘れてしまいましょう、ということでカンボジアでの集会以来は政府も法案作成に向けて力を入れているようだが、確かに2549年のクーデターから数えるとタクシン元首相の海外生活は6年目に入り早くタイに帰国したいという気持ちはわかるが、ここで慌てて集会で亡くなった91人の犠牲者の気持ちを無視してプローンドーンを推し進めていくと赤服との関係にもヒビが入るような気がする。
<ส.ส.กดบัตรแทนกัน>
<代理投票議員>
このタイトルも直訳では分かりにくいので意訳としました。4月24日で7日目に入った国会における憲法改正論議であるが、24日は291/5条の論議でส.ส.ร 3憲法草案議会議員の各県から1人の議員を選ぶ選挙を取り仕切るのは選挙委員会で、使う法律は2540年の上院議員選挙法ということで決まった。また選挙で不正があった場合は、15日以内に選挙委員会に訴え選挙委員会は30日間で検討して訴えを受理する場合には、最高裁判所選挙訴訟部が判断することになった。
291/5の論議には7日間のうちの3日間をかけたようである。これだけの時間がかかるのは憲法という国家と国民にとって一番大事なルールで各議員が慎重になっていることもあると思うが、与党による国会での多数を使った早急な決議を恐れる野党民主党が論議を引き伸ばしているのは事実だと思う。そして民主党の主張を聞いていると国会での憲法改正論議は支持者である国民の手前はやらざるを得ないが、この憲法改正はいずれは憲法裁判所でクーデター以降は不公正な判断を繰り返し続けている司法勢力により憲法違反ということでひっくり返ると思っているようである。
また24日の国会での論議ではローサナー・トーシトラクーン上院議員から決議の際に与党側議員による代理投票があったとしてこれまでの決議はすべて無効であると主張している。ローサナー上院議員はバンコク選出の上院議員でパンタミット派である。おろらくこのタブレットの写真を使った非難は、この前に民主党の若手議員が国会論議中にスマートフォンを使ってポルノを見ていたことに対する反対側からの政治ゲームだと思う。またローサナー上院議員はパンタミット派でもわかるように2550年憲法の破棄には絶対に反対なようで、いまだに2550年憲法を破棄する前に国民投票をすべきだと主張している。民主党も含めてこのような主張をする人たちは2549年のケーデターでそれまでの2540年憲法が数秒で破棄されたことをどう考えているのだろうか。
新しい国民憲法を作る過程で国民の代表である国会議員が論議に時間をかけるのは当然のことだろう。いままでのタイにおける政治集団の動きを見ていると、今のところ国会外での行動があまりないのは望ましいことと思うが、反対に国会内で国民を失望させるようなゲームはやめたほうがいいと思う。また今回の新しい国民憲法には、クーデターによる憲法破棄を禁止するという条項が入るのかどうか楽しみである。
<ผู้ว่าราชการจังหวัดชาเย็น>
<紅茶知事>
4月21日の夕方のテレビニュースと22日の新聞にもパンタミットの集会のニュースはなかったのでおそらく消え失せたのだと思っていると、INNNEWSだけにニュースが出ていて200人は集まったようである。当初は10万人の集会と発表していたが次の日には1,000人と急激に減っていたし、それ以上に人数が減ったのはパンタミットの中心人物が集会には関係ないと発表していたのが理由かもしれない。また10万人の集会をバンコクのウィパワディーランシット通りにある陸軍クラブで集会を開催するという発表があった次の日には陸軍司令官そして国防大臣と続けて記者会見をしてパンタミットまたいかなる政治団体にも陸軍の施設を使わせることはないと発表していた。そして陸軍クラブ前には“ここは政治集会を支援する施設ではない”という看板もでていた。そのようなことで21日のパンタミットの集会は陸軍クラブ施設の外で開かれたようである。今回の集会はもちろんパンタミットの利益につながっているクーデター憲法を破棄して新しい国民憲法を作成しようとしている政府に反対している訳だが、この先の反対集会がどれだけの規模になっていくのか注目されるところである。
おそらく今回の陸軍クラブにおける集会は、パンタミットによる陸軍への問いかけであると思う。果たして陸軍は憲法改正にどこまで中立なのか、また選挙で負け続ける民主党を2551年のように政権につけるようなことをする意志があるのかを問いかけたのだと思う。しかし陸軍クラブの使用を拒否されパンタミットの中心人物はすぐにこの集会には参加しないことを表明したのだと思う。一方、陸軍の方はパンタミットという政治団体が施設を使用することで陸軍司令官と国防大臣が出てきて拒否したのも不可解で、本来は陸軍報道官が発表すればいいことだったと思う。この件につながるのは21日のソンティ・ブンヤラットクリン議員の記者会見だと思う。この和解達成に向けての記者会見において議員は、現在の国の機関において右向けの命令に対して左を向くทหารแตงโมスイカ軍人やตำรวจมะเขือเทศトマト警官が出始めていると嘆いている。おそらくは陸軍司令官はスイカ軍人を考慮して素早く拒否の発表をしたのだろう。またソンティ・ブンヤラットクリン議員は各県の知事にもผู้ว่าราชการจังหวัดชาเย็นが出始めていると指摘しているが、このชาเย็นは紅茶なので赤服の知事ということだろう。
<เสียงข้างมากลากไป>
<多数派が引きずっていく>
4月18日にプラアーティットにあるパンタミット事務所での会合で北部パヤオのチュムポン・リーラーノン調整役が発表した21日にバンコクの陸軍クラブにおける集会には、パンタミットは参加しないことを表明するとともに、現在国会で憲法改正を論議している上下院議員416人を不正な憲法改正をしているということで、この26日には最高検事局に訴え憲法裁判所で判断するように訴えるということである。いずれにせよこの会合にはパンタミットのソンティ・リムトーンクン氏を始めとする中心人物が不在で組織内部で何かが起こっていることは確かだろう。また集会を開催しないのは動員力不足か資金不足が影響しているのだろう。そして人が集まらない集会に賭けるよりは、より確率が高い司法権力に賭けて憲法改正阻止そしてプアタイ党の解党を狙っているのだろう。
また司法勢力もどのような案件でプアタイ党を解党に持っていけるか勉強しているのであろう。今年中に帰国すると言っているタクシン元首相が帰って来る時にパンタミットが万単位の集会が開けるのかどうかで、この組織の状態がわかってくるだろう。
一方、国会は朝から夜中まで憲法改正論議をやっているが、今のところ憲法草案議会議員の人数と資格を論議している。憲法草案委員会が提案しているのは、各県から選挙で選ぶ議員1人で合わせて全国では77人と国会が選ぶ専門家22人で合計で99人である。上院と民主党からは各県1人というのは不公平で120、150、200人等の意見が出ていた。民主党の推測によると与党が幅を利かせている県が54県あり、これに国会では与党が多数決で与党よりの専門家22人を選ぶとすると憲法草案議会は与党の思いのままになるということである。民主党はこの状態を多数派が引きずっていく、多数派による独裁だと主張している。しかし各県で選ばれる一人の議員がどのような考えを持っているか、また憲法、法律、政治の専門家がどのような考えを持っているか分からない状況で多数派に引きずられるという主張は的確ではないと思うし、憲法草案議会が240日を使って草案を作成する間には国民からいろんな意見が出るだろうし、これらの議員はタイ国民で新しい国民憲法を作ってタイを良くしたいと願っているのは確実だと思う。
<ข่าว เมด อิน ไทยแลนด์>
<メイドインタイランドのニュース>
3月31日にハジャイとヤラーで起きたCar Bombの犯人は未だに捕まらず、南部にある複数のテログループの内、どのグループの犯行か特定できない状況のようである。その中にあってはっきりし始めているのは、民主党南部選出議員が指摘したタクシン元首相がマレーシアにおいてPULOの活動家と鎮静化に向けた交渉をしたことが今回の事件のきっかけになったという説は、PULOのWEBに掲載されていた写真とマレーシアで発行している中国語紙を根拠としていた。写真の方は幻の写真になり中国語紙のほうもマレーシアでの会談の取材ではなくタイからの情報だということである。
-タクシン元首相がマレーシアでPULOの活動家と出会った。
-ナラティワートのナジャムットディーン・ウーマー元議員が18年前にプーケットで撮った写真。
-最南部行政管理センターのタウィー・ソートソーン警察大佐が何度かマレーシアに行ってる。
以上の3点を混ぜあわせてできてきたタクシン元首相の会談がきっかけとなったという説は、幻の写真で危うくなり中国語紙の記者が31日の事件で犠牲になったマレーシア人の取材でハジャイに来たときに、地元のタイ人から情報を得たということで全てがあやふやになったようである。南部選出の議員であれば現地には情報や知り合いも多くいて犯行グループを探し出すのに協力するのが当たり前だと思うが、ここがこの党の変なところで反タクシンのためなら何でもやればいいのだという焦りが見え見えのような気がする。
<สมัยประชุมสามัญนิติบัญญัติ>
<通常立法国会>
2554年12月21日に開催された通常立法国会は4月18日に終わる予定であったが、憲法改正案が提出され野党による激しい反対があり延長ということに決まった。現憲法は2549年にタクシン元首相を追い出した旧権力の意向によってできた憲法で、新しい国民憲法を作りたいという国民の願いは2553年には集会の鎮圧で91人の死者を出し、2554年には憲法改正を選挙公約にしたプアタイ党の勝利につながっていった。
今日18日の第2読会では憲法草案委員会の憲法草案議会議員99人に対して野党と上院議員から150人、200人等の修正案が出されていた。この2月25日に憲法改正動議が賛成399、反対199で国会を通過したのを受けて、野党民主党はハジャイにおいて党大会を開催し国会と国会外において新しい国民憲法に反対していくという決意を表明していた。しかし国会外での反対集会は今のところなく国会においてもいろいろな戦術で論争に時間はかかっているが、修正動議を出すところを見ると流れとしては新しい憲法ができるのも確実で91人の犠牲者も無駄にはならなかったのかなと思っていると、久しぶりにパンタミットという名称がニュースに出てきた。
クーデター憲法とクーデターを拠り所にするパンタミットとして新しい憲法ができるのには絶対に反対で4月21日に全国から10万人を動員してバンコクのウィパワディーランシット通りにある陸軍クラブで集会を開催するということである。そして政府が新憲法案を引っ込めない限りは集会を続けるということは、2552年のように首相府占拠そして空港占拠を狙っているのか悪夢がよみがえるのかと心配していると、次の日にはパンタミットのパーンテープ・プアポンパン報道担当は自身のfacebook上で21日の集会はパンタミットとは関わりがないと声明を出していた。では21日の集会は誰がやるのかよく分からないところである。分裂しているのか動員力がなくなっているのかパンタミットのWEBも停止している状態では21日を待つしかないようである。
<ตัวแทนอำพราง>
<Nominee><隠し名義人>
タイという熱帯国はもの成りのいい国でコメというものは、土地があり水があればモミを撒けばできてくるものだと考えられていたと思う。これまでの政府もコメの価額と買い上げ方をどうするかという政策はやってきたが、米を作る人たちすなわち農民、土地、水、コメの種類等については真剣には取り組んで来なかったと思う。ここに来て農地確保の政策立法を始めようとしているようだが手遅れという説もある。調査によると高級ホテルに適した土地を始めとして大規模農地までが違法な隠し名義人を使って外国人に買われていて、その規模は国土の3分の1にもなるということである。違法な隠し名義人を使った土地の購入には次のような方法があるということである。
1,結婚したタイ国籍の人に土地を購入して維持させて外国人のものとする
2,タイ国籍の人に土地を買ってもらい、その人から土地を借りる契約を作り外国人のものとする
3,タイ法人会社を作りタイ国籍の人に株を所有してもらうが実際は外国人のものとする
また、このもの成りのいい国でのコメの面積あたりの収穫量を見てみると459kg/1ライ(面積の単位は1ライが1,600㎡)で、たとえばアメリカの1,270kg、韓国1,216kg、ベトナム836kg、インドネシア799kg、ビルマ653kg、ラオス576kgフィリピン574kg、カンボジア453kgでタイはカンボジアとほぼ同じである。カンボジアもまたもの成りのいい国で稲穂が出るころに田んぼに立つと稲穂が大きくなる音が聞こえると言われているほどである。面積あたりの収穫量が増えることは面積あたりに使う費用が減ることになり、農民の収入が増えていくことにつながることを考えると政府はモミの買取価額と買い上げの方法の改良だけではなく、もっと基本的なことから時間をかけて農民のことを考えないと、今年のコメの輸出が600-700万トンと昨年の900-1,000万トンより大幅に減っていくという数字に現れてくるようにいずれはコメ輸出量第1位の地位をベトナムに譲り渡すのも遠い未来ではないだろう。
<ส.ส.ร 3>
<สภาร่างรัฐธรรมนูญ><憲法草案議会>
先日、Voice TVを見ていると久しぶりにソムキエット・オーンウィモン先生が出ていて今、話題になっている新しくできる憲法草案議会にぜひとも参加したいという熱い思いを語っていた。ソムキエット・オーンウィモン先生は政治学とマスコミ学の先生であるとともにテレビ、ラジオの番組を改革して新しく時代にあったものにした人でもある。2539年にできた初めての憲法草案議会に地元のスパンブリーから選出されて2540年憲法作成に参加してる。今回の憲法草案議会に参加する目的は、現在の2550年憲法がクーデターによってできた憲法で作成時に国民の参加がなく魂がこもっていない憲法なので、新憲法は2540年憲法のように幅広く国民の参加と意見を求めて作成していきたいということである。2540年憲法では各県で選ばれた議員が広く意見を聞きまわり集めた意見書は100万件になったということである。また現在も使われている選挙を管理する選挙委員会はソムキエット・オーンウィモン先生が長く勉強をしてきたインドにあった選挙委員会をタイに導入したということである。
2475年の立憲革命以降、タイでは18の憲法ができている。多くの憲法はクーデターが成功した後に前もって作成していた新しい憲法を使っている。しかしそれも2534年のクーデターから翌年の残酷な5月事件からは、憲法草案議会を立ちあげてから新憲法を作成している。これまでの憲法草案議会は次のとおりである。
ส.ส.ร 1
2539年バーンハーン政権のもとで民主主義と汚職議員の排除等の政治改革が必要だと考える国民及び各活動グループの要求で成立。憲法草案議会の議員は各県から選出される76人と教育機関が推薦する学者23人で構成される100人でウタイ・ピムジャイチョンが議長になり2540年の憲法は成立した。
ส.ส.ร 2
2549年クーデターを起こした国家安全保障評議会(คมช.)により任命される各職業部門からの代表、政府28人、民間27人、社会活動奉仕団体28人、学者22人で地方別では北部10人、中部68人、東北部12人、南部10人の100人で構成され2550年の憲法は成立した。
ส.ส.ร 3
2556年には成立すると考えられている新憲法で国会では憲法草案検討委員会の検討結果の第2読会に入っている。
<ช่างแม่มัน>
<放っとけ>
4月14日にカンボジアのシアムリアップで開催されたソンクラーン新年で国境を超えてやって来た約5万人の赤服を前にしてタクシン元首相はビートルズの名曲Let it beの部分をタイ語にして歌っていた。おそらくはタイ国内で問題になっている和解案と憲法改正案で民主党が強硬に反対していることに対してช่างแม่มันと言っているのだと思う。舞台上にいた3時間は久しぶりに支持者に囲まれタイラックタイ党のときの集会を思い出していたのではないだろうか。それを皮肉るようにナタウット・サイグア農業副大臣はここはシアムリアップではなくサナームルアンのようだと表現していた。しかし進行する和解案に遠慮したのか舞台上では演説はなく歌と踊りで終始したようである。タクシン元首相は何曲か歌ったがสามสิบยังแจ๋วとMy Wayを力を入れて歌っていたようである。
また夕方6時ころに舞台に上がったタクシン元首相はジャトゥポン、ナタウット議員と初めて出会うということを言っていたが、ジャトゥポン、ナタウット議員ともにクーデターが起る前の最終の頃のタイラックタイ党に入っているのでタクシン元首相とは出会っているはずで、タクシン元首相が言いたかったのは、このような集会で出会うのが初めてだという意味だと思う。この二人を含めた13人の赤服がプアタイ党所属の国会議員になったことは、赤服の勢力拡大を助けているだろうし、国境を超えてきた5万人を見てもわかるように赤服の団結力がプアタイ党を助けていることは前回の選挙を見れば明白である。そして旧権力にとって予想外であった赤服の拡大がクーデターへ踏み切る決断を遅らせているのも事実であろう。
タクシン元首相はチェンマイで家族とともにソンクラーンを迎えているインラック首相へ新年の挨拶と祝福を送るとともに、野党から何を言われても言い返さずに仕事にだけ専心していることを賞賛して、今のやり方が正しくて自分のやり方は間違っていたので真似をしないように注意をしたようである。
またあいも変わらず民主党は若手女性議員を使ってプアタイ党の議員と閣僚がラオスとカンボジアでタクシン元首相と出会ったことは法律違反だと騒ぎ立っているがช่างแม่มันである。写真は久しぶりにインラック首相の大切な息子であるスパセーク君が出ていたので二人の写真にします。
<เรื่องนี้ถึงครูอังคณาแน่>
<アンカナー先生に言いつけるからな>
4月11日にインターネット上で起きた出来事である。YouTubeにサムットサーコンの中学1年生のトート君がタイトルにつけた表題でアップロードしたビデオを178万回も見た人がいて、このセリフがマスコミで使われているということである。クリップの内容はトート君のクラスで使っていたfacebookのグループが原因のようである。ちょっとしたことでボール君というクラスのリーダーによりグループから除け者にされたトート君が相手に怒りをぶっつけ、このまま除け者にするならアンカナー先生に言いつけるからなということである。マスコミの取材を受けたアンカナー先生は当事者を呼んで話し合いをした結果、二人とも元通りの友だちになりトート君もfacebookのグループに戻れたということである。
facebookはタイでは人口の7.7%に相当する510万人が使っているということである。そしてこれだけ使う人が増えた理由はいろいろな理由があると思うが、facebook上で懐かしい友達や連絡を取っていなかった友だちと会話できることがいいということである。また世界の都市でfacebookを使っている人たちが多い順位では5位である。
# City Country Total User
<ศาลรัฐธรรมนูญ>
<憲法裁判所>
憲法裁判所は2540年憲法でできた司法に関する独立機関の一つである。80%が各法律における違憲判断で政治上の事件を判断するのは10%ということである。しかしこの10%の政治上の判断、たとえば政党の解党、上下院議員の議員資格判断が重要な判断で2549年のクーデター以降は憲法裁判所の判断に濃厚な不公平が出てきている。タクシン元首相支持派と反対派の判決を見ていると不公平があるのは事実のようだ。特に民主党解党裁判は2回あったわけであるが2回ともに解党を逃れ、最後の判決では選挙管理委員会が15日以内に訴えなかったのは手続きに問題があったということで憲法違反の内容を吟味する前に民主党を解党から助けるという形で終わったわけである。
憲法裁判所は9人の判事から構成されていてどこから選ばれるかはは次のとおりである。
最高裁判所裁判官 3名
最高行政裁判所裁判官 2名
上院内の法律学有識者 2名
上院内の政治学有識者 2名
これらの9人の判事の選択については上院に権限があるようで、その上院の半数が2550年憲法以降は任命になり、その上院を任命するのは次の7人で構成する委員会である。
憲法裁判所議長
選挙委員会議長
国家調査員委員会議長
国家汚職防止取締委員会議長
国家会計検査委員会議長
最高裁判所判事
最高行政裁判所判事
このメンバーを見ていると司法関係だらけで、おそらくはこの内の8割以上は旧権力に属する反タクシン派だろう。3月29日には憲法裁判所設立14周年を記念する講演会が開催されワッサン・ソイピスット議長は和解について、今の状況ではありえない事で抗争している両派の政治家と活動家が亡くならないと成立は不可能だと講演していた。裁判所内に居すぎて何も見えなくなったのか民主党の選挙での大敗とパンタミットその他の反タクシン派の動員力は激減しているのは事実であるということが見えていないようである。クーデターにつながった2548年の何万人を動員する反タクシン派集会は民主党が南部から人を集めたからできた結果で今の民主党ではそれもきついだろう。それとは反対に今の司法が変わらない限りにおいて和解は難しいということにも気づいていないようである。
<PULO>
<Patani United Liberation Organization >
<パタニー統一解放機構>
3月31日に南部の2県で同時に起きたCar bombから1週間が過ぎて事件が起きたヤラーの商店通りでは複数の僧侶を招いてタムブンと亡くなった人たちへの供養をやっていた。最南部3県にあるヤラーはイスラム教徒が多いと聞いていたので仏教の僧侶が多く来ていることが不思議に思っていたのだが、供養をするには仏教が向いているのかそれとも商店街は中国系タイ人が多いというせいかもしれない。
そしてこの日には早くも民主党から今回の事件の背後にはタクシン元首相がいるというニュースが流れてきている。ヤラー選出のプラサート・ポンスワンシリ民主党議員によると、2月22日に南部の係員に連れられたタクシン元首相とプアタイ党議員はマレーシアに入りPULO(パタニー統一解放機構)の18人の活動家と南部鎮静に向けた話し合いを行ったが成立せずに、3月17日にはインラック首相も同行して2回目の交渉でマレーシアに行ったとしている。その根拠としてはPULOのWEBにタクシン元首相が活動家と抱き合っている写真があったと主張している。しかしその日の夕方にはPULOのWEBでそのような写真がなかったことをマスコミから追求されたこの議員は、写真は南部の人がWEBから印刷してきた写真で今はその人がマレーシアに行っているので手元にはないということで幻の写真になったわけである。
この幻の写真については、アピシット前首相までが言い訳を手伝わされたようで写真以外にも政府の高官が交渉に行ったという情報はいっぱい入ってきていると言い訳をしている。これはศอ.บต.という最南部行政管理センターのタウィー・ソートソーン警察大佐が何度かマレーシアに行ってることを指しているのだと思う。
南部は民主党の地盤で多くの議員と支持者がいて情報が入ってくるだろう。今回はその中の偽の情報に乗ってしまったということだろう。これまでも何度も事件は起こっていたが3月31日の事件で南部の問題が国民的な課題であることを再確認して解決への方向を見出そうとしているときに偽の情報で混乱させていいものだろうか。それとも民主党にとっては国民的課題より反タクシンのほうが大事なのだろうか。
その後もマレーシアにおける会談については情報が錯乱して、民主党が固辞する反タクシンの新しい話題となっているようである。民主党が南部の事件を利用して反タクシン運動を再度展開するやり方は、南部をより混乱状態にしているのは事実のようである。
<ไหว้เขาสิพี่>
<あんたらあの人に感謝したら>
タイトルのタイ語を直訳すると分かりにくいので意訳にした。また状況を説明すると時は4月5日で場所は国会、発言者はナタウット・サイグア農業副大臣である。この日深夜まで行われた和解委員会が提出した和解案を受け入れるかどうかの国会討論で、この国会討論の間、民主党議員が和解委員会ソンティ・ブンヤラットクリン議長に詰め寄り、この和解案に不満な議員が攻撃的な発言をしたことを受けて、それまで選挙で負け続けいた民主党が2549年のクーデターにより政権の座につくことができたのは、クーデターの指導者であったソンティ・ブンヤラットクリン議員のお陰なのだから感謝すべきだというナタウット・サイグア農業副大臣が発言の最後に民主党議員に向って言った言葉である。
もちろん民主党も和解には同意しているとは言っているが、プラポッククラーオ研究所が作成した和解案ではこの6年間のタクシン元首相壊滅計画のすべてが無駄だったということになるのを恐れているようである。できれば和解を延ばし司法によるプアタイ党の解党もしくはできるなら再度のクーデターを狙っているようである。
また民主党のステープ議員がテロリスト以外との和解なら賛成だとの発言を受けてプアタイ党のジャトゥポン・プロームパン議員は91人を殺した殺人者との和解はできないとやり返した。また続けていずれは成立する恩赦ではプアタイ党のナタウット・サイグア議員と自分と民主党のアピシット前首相およびステープ議員の4人だけは除外にして、公正な司法のもとでテロリストか殺人者かの裁判をやろうということである。これに対してアピシット前首相はステープ議員と自分とタクシン元首相の3人で裁判をやろうということである。
<จุฬาราชมนตรี>กับ<สมุหนายก>
<政府が任命するタイイスラムの宗主>と<文官の最高官名>
ナタウット・サイグア農業副大臣が言ったように戦車から降りたソンティ・ブンヤラットクリン議員はค.ม.ช.国家安全評議会議長からก.ม.ธ.ปรองดอง和解委員会の委員長へと180度の転換を果たしたようである。この転換について本人は軍人時代に修士学位をとった社会学の勉強でタイ社会が友愛とつながりを持った社会になって欲しかったと語っている。また現在も続けているラームカムヘーン大学での博士課程が政治学というのも転換に影響しているのかもしれない。陸軍を大将の位で退官したあとの2552年には最南部のナラティワート、ヤラー、パッタニーを地盤とした政党マートゥプーム(故郷党)を立ち上げ2554年の選挙で下院議員になっている。今回の下院議会内にできた和解委員会の委員長には自らの意思でなったようである。
ソンティ・ブンヤラットクリン議員はイスラム教徒としては初めて陸軍司令官になった人で、おそらくは南部出身であると思っていたのだがタイ中部のパトゥムターニー出身であるということである。先祖はアユタヤ時代のエーカートッサロット王(治世2136-2144)のときにアユタヤに来たアラビア人でソンタム王のときに貿易で巨富を築き上げたチェークアフマッドだということである。この家系からは<จุฬาราชมนตรี>と<สมุหนายก>という要職に就く人が何人もでてバンコク時代にっても有名な家系は続いているということである。
<คาร์บอมบ์>และ<กลุ่มกองโจร>
<Car bomb>and<Terrorist>
昨日の3chの夕方の番組「ジョカーオデーン」では久しぶりに屋外での取材になり番組進行役のソラユット氏が南部ヤラーの爆発現場に来ていた。昨年10、11月の洪水の取材で気づいたことは、この人の方法はなるべく早く現場に駆けつけ現場にいた人たちに話をさせて、その時の状況を詳しく語ってもらう。そして現場の人たちに政府と関係機関に対する期待と不満を語ってもらうということだと思う。またソラユット氏という国民に人気がある人が行くことにより世間は事件現場に注目していることを知らせ犠牲になった人たちを安心させ元気づけることにもなっていると思う。
3月31日に発生した南部ヤラーの爆発は商店通りに停車していた2台の車が爆発、20分後には100mほど離れたところで3台目の車が爆発、この3台目の車の爆発は初めの爆発現場の犠牲者を助けようと駆け寄った人たちが集まってきた時に合わせて爆発させたようで11人という死者が出ている。各々車には50kgほどの爆薬が仕掛けられていて爆薬の中には鋭く尖らした鉄の破片が大量に入っていて、多くの死者は爆風とともに飛んできた鉄の破片で亡くなったようである。
3台目の爆発現場で全壊した7イレブンの持ち主に話を聞いていたソラユット氏は何度かメガネの中を拭いていたので涙が出ていたのだろう。昨年の洪水の報道の時には決して見せなかった涙である。おそらくこの事件は衝撃的でこれから南部の問題をどのようにしていくのか大きな国民的な課題になったのだと思う。
<อีสานบน>กับ<อีสานล่าง>
<上イサーン>と<下イサーン>
4月に入り一段と暑くなってきたタイであるが暑くなってくるとそろそろソンクラーンタイ新年である。3月31日には南部の3県で同時爆発が起こり13人の死者と534人の負傷者をだすという大きな事件もあり、ソンクラーン期間中の南部特にハジャイへの観光は激減して6割方落ち込むということである。しかし何と言っても今年のソンクラーンのハイライトはタクシン元首相に出会うラオスとカンボジアへの観光になるだろう。タクシン元首相は4月11,12日にはラオスのビエンチャンでノーンカーイを通ってやってくる上イサーンの赤服を迎え、4月14,15日にはカンボジアのシアムリアップでアランヤプラテートを通ってやってくる下イサーンの赤服を迎えるということである。また14日にはシアムリアップにある80,000人を収容できる文化センターでタクシン元首相の演説があるということである。これまでの集会ではタクシン元首相は海外からビデオリンクで演説していただけであったが、今回は選挙演説と同じように支持者に囲まれて触れ合いながらどのような演説をするのか期待されているようである。そして直に演説を聞く赤服の参加者が感動してタクシン元首相の元で団結してさらなる民主化に向けた行動とタクシン元首相の帰国実現への運動を加速していくのは確かだろう。
また参加者にはタクシン元首相から記念品が配られることになっていて次のとおりである。
1,ゴム製で頭からすっぽりとかぶるタクシン元首相の仮面、20,000個
2,タクシン元首相の顔を刺繍した赤のポロシャツ、30,000着
3,タクシン元首相と家族の写真を入れた扇、100,000本
これだけの数量の記念品をどこで作ったのか不思議だが、またこれだけの人が集まるのか見ものではある。そしておかしいのは20,000個のタクシン元首相の仮面をかぶった人たちに囲まれてタクシン元首相は国境を超えてタイに帰国するというアイデアである。
<ปรองดอง>หรือ<ปรองเดือด>
<和解>か<沸騰>
先日、有名なソラユットのテレビ番組で国会で激論になっている和解案について2人の出席者が出ていた。和解委員会の民主党議員9人の代表で27日の国会での討論の前に委員会から脱退した民主党ソンクラー県選出のニピット・イントラソムバット議員とノーポーチョーのナタウット・サイグア農業副大臣である。この番組でのソラユットの番組進行は定評でどのように討論が進んでいくのか楽しみにしていたのだが、ナタウット・サイグア農業副大臣の自信からきた落ち着きに比べてニピット・イントラソムバット議員の自信のなさからきたイライラと攻撃性はソラユットの番組進行の腕を持ってしてもあまり噛み合わない討論になったようである。
民主党議員のイライラは昨年の選挙での敗北から国会での敗北といろいろあるだろうがインラック首相を中心としたプアタイ党議員に対する実に細かい理由による訴訟沙汰が味方であるはずの司法により取り上げられないということもあるようだ。そしてそれ以上に恐れているのは選挙地盤の南部ナコンシータマラートに赤服村ができたことではないだろうか。この番組の中でナタウット・サイグア農業副大臣は和解委員会のソンティ・ブンヤラットクリン議員が戦車から降りてきたという表現を使って2549年に起こったクーデターのリーダーから和解へのリーダーに変わったことを強調していた。
さてそのソンティ・ブンヤラットクリン議員が主人公になった3月27日の国会における長時間にわたった激論であるが、その間クーデターのお陰で議員になれた民主党議員と一部の上院議員から180度の方向転換を詰め寄られるという場面もあったようである。一方ではクーデターにより失くすものが多かったプアタイ党議員は反対にソンティ・ブンヤラットクリン議員の応援に回ったようである。先日2000人の参加者を集めて開催された民主党の<力をあわせてタイ国を変えていく>集会でアピシット民主党党首はクーデターによる独裁と独占資本による独裁を反対するとはっきりと表明しているが、行動を見ているとクーデターのお陰で2551年に政権党になれたことを懐かしがっているのは事実のようである。
<ลืมๆไปซะ>
<忘れてしまいましょう>
プラポッククラーオ研究所が作成した和解に向けての報告書を要約すると「忘れてしまいましょう」ということである。สถาบันพระปกเกล้าのサターバンはInstitutionをナラーティップポンプラパン親王がタイ語にされたもので大学、研究所、寺院、病院等の公共施設に使われているタイ語である。
さてこの1週間、国会及び各マスコミにおいて激論を巻き起こした報告書は次の調査項目を経てできたようである。
1,タイと同じような状況に置かれていた10カ国への調査
2,タイ社会内の抗争を調査
3,パンタミット、ノーポーチョー、政府職員、政府の関連機関と元首相を含めた47人へのインタビュー
結果は抗争の中心はタクシン元首相で民主主義をどのように解釈するかの違いから起こった抗争で一方は国会における多数派を重視して、もう一方は民主主義においての道徳と倫理を重視した結果であるということである。そして両方共に権力と利益の維持のためにおのれの考えだけを主張してマスコミを使い社会に浸透させた結果、民主主義に対する解釈の違いが社会経済上の格差を生み出し気づかせることになったということである。
報告書では抗争を終わらせる方法として短期的には次の方法を提案している。
1,6ヶ月後に結果を出すコーオーポーと呼ばれる和解のための真相調査究明独立委員会を支援する
2,すべての関係者に対する条件なしの恩赦
3,2549年のクーデターのよりできた国家損失真相解明委員会により犯罪となった全てをなくす。
4,国民による反対集会を禁じた上での憲法と法律の改正
民主党が強硬に反対するのは、この報告が国会で取り上げられると与党による多数決賛成で恩赦法が成立してタクシン元首相の帰国につながることを恐怖を感じるほどに恐れているようである。
<การปรองดอง>หรีอ<การขัดแย้ง>
<和解>か<抗争>
6月27日、国会下院内の和解委員会(ก.ม.ธ.ปรองดอง)から民主党委員9人が離脱したことを受けて世論では民主党は和解を真剣に考えているのかそれとも抗争を続けていくのかという疑問が出てきている。もしこのまま和解が成立するなら政府すなわちプアタイ党の得点になり予想されているように次回の選挙では民主党は100議席を切るかもしれない。おそらく民主党の考えはこのまま抗争を続け各裁判所に訴訟を続けているといずれは首相解任やプアタイ党の解党が実現すると思っているのだろう。実際に料理番組出演が憲法が定める兼業規定に違反するとして憲法裁判所から首相の座を追われたサマック・スントラウェート元首相の例やタイラックタイ党とパランプラチャーチョン党の解党を考えると司法が反タクシン派であるのは明白だからである。
さて和解委員会がプラポッククラーオ研究所に諮問してできた報告を27日の国会で与党は審議を始めようとしたところ、審議前にこの報告がまともでないとする野党民主党の反対を受けて審議は4月4日に延期されたようである。この間、民主党議員による報告案を破り捨てる等の混乱があり休憩をはさんだ再開では和解委員会のソンティ・ブンヤラットクリン委員長が立ち上がり「あなた達は一体に何のために国会に来ているのか。外部にはなんの抗争もなく国会こそが抗争の原因で外部に拡げているのではないのか」と詰め寄ったようである。
各調査機関の報告によると対立をしているのはタクシン元首相を応援するグループとそれに反対するグループで国民の40%だけで残りの60%は和解を願っているということである。タクシン元首相に反対するグループはタクシン元首相が旧権力が重要視するものを破壊すると思わされているようである。またタクシン元首相を応援するグループは旧権力が民主主義の原則を破ってでも権力を固守しようとしていると考えているようである。
一方2553年の鎮圧により亡くなった91人を代表するパヤオ・アックハート女史は国会議長に対して大勢の犠牲者を出した武力鎮圧の責任を取るものが誰もいない状況で和解というのは早急で事実を明らかにしてはっきりと責任者を処分してからの和解でも遅くないのではということである。
<สำนักงานผู้ตรวจการแผ่นดิน>
<国家調査員委員会>
当初、この委員会の名前แผ่นดินを見たときは国土のことだと思い地表にある国有地、国有林、国立公園などでの不法占拠や国有林の不法伐採または国立公園内での野生動物の不法捕獲を調査する委員会だと思ったのだが、業務内容を見ているとแผ่นดินとは国家のことで2549年のクーデター以降にできたタクシン元首相を追い出す司法の一機関で国家調査員委員会が適当な訳のような気がする。
タクシン元首相の大衆主義と呼ばれる地方の人達の生活と地位向上を目指した政策は特に北部と東北部で人気を集め選挙ではかならず勝つという政党を創り上げた。しかし地方を利用しながらも蔑視してきた旧権力は地方の人たちに権力が移っていくのを嫌い選挙ではタクシン元首相の党には絶対に勝てないと悟ったのかパンタミット+民主党による国会外における大衆行動、軍権力によるクーデターそして司法による解党措置でタクシン元首相を国外追放にして民主党を政権の座につけることに成功したわけだが、時の流れを読めない民主党は2年以上に渡る統治期間中に何ら具体的な政策も打ち出すことができずに赤服の集会を鎮圧するだけに終わり、2554年の選挙では大負けをしてインラック首相が率いるプアタイ党政権ができたわけだが旧権力によるタクシン元首相の追い出しは続いていてこの国家調査員委員会を使った司法権力による追い出しが目立った動きのようである。
国家調査員委員会は2550年憲法の規定によりできた3人による委員会で役目としては、政治家、公務員の違法行為を見張り、政治家、公務員が倫理規定に即した人格であるのかを調査する委員会のようである。今のところナタウット・サイグア農業省副大臣がテロリストの容疑で訴えられていることとナリニー・タウィーシン首相府大臣がアメリカ財務省のブラックリストに載っていることが倫理規定に引っかかっているようである。
<ไม่กลับหรอกค่ะ>
<帰ってこないわよ>
タクシン元首相のタイ国内の情勢分析では和解への兆しが見え始めたので今年中には帰国できると予想しているようである。この情勢分析に対するインラック首相の答えは一言で<帰ってこないわよ>ということである。この答えに対してタクシン元首相は赤服もプアタイ党も帰って欲しがっている。しかし政府だけが帰って欲しくないようだとつぶやいたようである。
タクシン元首相の帰国は賛成派および反対派にとって昨年の選挙以上に重大なことでタクシン元首相を極悪人としてきた民主党やパンタミット等にとっては国を民主化とは反対の方向に向け格差社会を温存してバンコクが地方に対して優位であるというバンコクに住む保守層の考え、そして黄色集団による集会また空港占拠、その上にはクーデターによる民主党政権成立等の行動ががなんの意味もなかったことになるほどの重大なことだと思う。
ではタクシン元首相の帰国の方法とは次のとおりである。
1,チャローム・ユーバムルング副首相が提案するพ.ร.บ.ปรองดอง(ポーローボープロンドーン)という和解法案による帰国。
2,スチャート・ラーイナムンガン首相付き副幹事長によるพ.ร.ก.นิรโทษกรรม(ポーローゴーニラトートガム)という恩赦緊急勅令による帰国。
3,この時点では国会内にできた委員会で憲法草案議会設立に向けた議論が行われているが、その2550年憲法を改正することによる一部条項をなくすことによる帰国。
4,前回のクーデターを率いたソンティ・ブンヤラットクリン大将が議長になった国会内の和解に向けた方向を検討する特別委員会による諮問を受けたプラポッククラーオ研究所がまとめたクーデター政権による訴訟を全て無効にするいうことによる帰国。
しかし4案ともに時間がかかり反対派を増やしていくだけなのでイサーンの赤服が提案する今年の4月のソンクラーンのときにラオスを訪問することになっているタクシン元首相をそのままノーンカイからタイに入国させウドンタニーで何十万人規模の赤服を集めてタクシン元首相を守るという案が一番現実的であるという気がする。
写真には4年先の2559年にタクシン元首相帰国という写真を使ったが、民主党はお喋り上手を超えて悪口上手になり政治党派ではなく悪口同好会という様相でパンタミットは大きく人を集めるスローガンもなくなり今の反対派の状況を考えると近々という気がする。
<บัวขาว>
<白いハス>
BlackgoldまたはDam.comというニックネームを持つ2004年と2006年のK-1 World Maxの王者で日本人もよく知っているブアカーオ・ポー・プラームックは所属ジムであるポー・プラームックから3月1日に失踪してから行方知らずであったが12日にバンコクの7Chのスタジオに現れ失踪した気持ちを番組の中で語った。理由は所属ジムとうまく行かなくなったということだがブアカーオの百万バーツ単位のファイトマネーは習慣でジムと半々ということである。
ブアカーオは1982年にタイ東北部のスリン県に生まれ8才でムアイタイを初め15才で田舎を出てポー・プラームックジムに所属したようである。これまでのところ236戦して203勝21負けでうちノックが51回で引き分けが12回である。このような結果になったことについてジムのオーナーはタイ語でปั้นという粘土をこねるという言葉を使い15才から29才まで粘土をこねるように養育してきたのがこのような結果になり残念だということである。
また名前のブアカーオは訳すと白いハスということになるが辞書を見るとブアカーオはそのままでハスという意味だということである。また仏教国タイではハスの花は神聖吉慶な花とみなされ、美しい良いものの代表とされている。
<พ.ร.บ.>กับ<พ.ร.ก.>
<Pho.Ro.Bo.>and<Pho.Ro.Ko.>
2006年のクーデター以降の混乱の中でタイが格差社会で民主主義の基本である平等社会からほど遠い階級社会でバンコクと地方との格差、バンコクと地方との富の格差、バンコクと地方の教育の格差を指摘する声は上がっていたが今回の洪水により具体的に格差があることが浮かび上がってきたようである。
バンコクを中心としたニュースを流す報道にもはっきりと格差と差別がありバンコクに水が迫ってくると洪水のニュースを流すがそれまでも地方特に農地は洪水の影響を多大に受けているのに農家の取材はなく大声を上げる人達が住むバンコクだけのニュースを流し、最近のニュースではバンコク中心部から水が引いているというニュースばかりで地方の農地がいまだに水に浸かり農業ができないという報道は一切ないのは報道にも格差と差別があるという理由からだろう。
ここに来てビッグバックという洪水の水をせき止める大型砂袋で中心部への水の南下を止めて東西に排水するという成果が出てきたようでバンコク中心部へ水が来る可能性は消えたようである。一時期に浸水した中心部への入り口、ラートプラーオ交差点から水が引いたことで昨日のテレビではスクムパンバンコク都知事がテレビタレントを引き連れて掃除をしているところを見ていると、そのわずか何キロ北にあるバンコク以外の地区ではビッグバックで水をせき止められたおかげで今だに水が1mも浸水していていつになると元通りになるか分からない住民はずいぶんと腹立たしいことだったと思う。
そしてバンコク中心部が元通りになり始めているのを見てビッグバックの上流にいてバンコクの犠牲になっている住民は土のうを取り除いたり道路を封鎖するなど実力でもって大声を出し始めた。このような実力行使を取り締まるために民主党は2010年4月から5月の集会鎮圧に使ったPho.Ro.Ko.>という勅令を使って2010年と同じように軍隊を出動させこれらの住民を鎮圧するように政府に提案したがインラック首相は<Pho.Ro.Bo.>という普通の法律を選んだようでおかげでこれらの住民との交渉は終始話し合いで進められ土のうを取り除いた住民の逮捕ということもなく、今のところはもちろん2010年の集会鎮圧でのような死傷者、負傷者もださない結果になっているのは政府の勝利で民主党は2010年に話し合いの努力を放棄して91人の死者をだしてしまったことを民主主義を尊重する政党であるならばもう一度考えるべきだと思う。
洪水期間中も2010年の集会鎮圧の真相を究明する動きは続いているようでアピシット前首相とステープ前副首相という鎮圧責任者が真相、事実という洪水に巻き込まれていくのは間近のようである。
<Pho.Ro.Bo.>はพระราชบัญญัติで法律
<Pho.Ro.Ko.>はพระราชกฤษฏิกาで勅令ですが各々は次のとおりです。
พ.ร.บ.ป้องกันและบรรเทาสาธารณภัย
พ.ร.ก.บริหารราชการในสถานการณ์ฉุกเฉิน
<น้ำท่วม>และ<น้ำตา>
<洪水>と<涙>
北からゆっくりと流れてきた水はやっとバンコクの南に来て海に戻っていこうとしている。今回の洪水はピーク時の水量が満水時の琵琶湖の3分の2に相当する160億トン、浸水した地域が1万6000平方キロに及ぶとみられ、これまでに500人以上が死亡して200万人が影響を受けているということである。首相に就任したばかりの時期に未曾有の災害の対策に追われているインラック首相であるが、ここにきて特に民主党の女性議員から被災地支援に首相が行ったときに公衆の前で涙をにじませたことでี้แย.อ่อนแอ.สำออย.泣き虫、かよわい、甘えているという批判が出ていてひどいのになると涙を見せて同情票を集めようとしているという議員もいるようである。
確かにこの間の新聞では3-4回ほど感情がたかぶって涙が出たようである。指導者は冷静で的確な判断すべきだとその通りではあるが災害被害にあっている何万人という人たちの前で感情がたかぶり涙がでるのは人として普通のことではないだろうか。それより昨年のラーチャプラソン交差点の赤服集会を鎮圧して91人の死者を出した責任者のアピシット前首相は一滴の涙も見せたことはなかったはずである。反対に涙を見せることもなくテロリストの仕業だと言い続ける民主党のほうがおかしいような気がする。
<รัฐประหารตุลาการ>
<司法クーデター>
この一週間は政治が動き始めいろんなニュースがあったがタイ字紙で一番話題になったのはタクシン元首相の日本入国だと思う。「日本、中国、アセアン経済文化研究会」からの招待で8月月末に日本を訪れることになったタクシン元首相に日本政府がビザを発給したことは違法であり、タクシン元首相の日本入国を容認するかという日本政府の問い合わせにそれは日本が決めることだと答えたスラポン外相をタクシン元首相を助ける閣僚だと野党になった民主党は攻撃を始めているようである。またアピシット前首相によるとタクシン元首相はインターポールの犯罪人リストにも載っていて日本政府は逮捕すべきだと主張したが、次の日には警察も外務省もインターポールの犯罪人リストにはタクシン元首相の名前がないし載ったこともないということで民主党の口だけで行動がないという事実が確認されただけに終わった。
もともと判決が出た事件と審議が中断している事件を含めてすべては司法クーデターによるタクシン元首相を標的にした陰謀以外の何者でもなく、それを民主党は利用してタクシン元首相=犯罪人という虚像を作り上げ赤狩りそして魔女裁判をやっただけのことで政権が変われば無効になったと各国も判断するのは常識でドイツ、フィンランドはタクシン元首相を入国拒否する政策を変更させ日本もそれにならったということだけである。
この状況に合わせたかのように中東の1都市ドバイに住んでいたタクシン元首相には羽が生えたようでドイツに飛んでいき今はカンボジアか中国に寄り道をして8月22日には日本へ降り立つようである。タクシン元首相はタイのことを心配して何とか役に立ちたいということで貿易投資交渉の特別大使になり世界を駆け巡りたいようである。それによりタイにとっては年間2,500億バーツの貿易投資が増えるということである。
<ไปค์>หรือ<ไปป์>
<パイク>か<パイプ>
まずはおおくのタイの人は生まれたときに両親がつける名前の他にニックネームもつけてもらうということをタイを良く知っている人なら分かっていると思う。スパセーク・アモンチャット君(9才)にもニックネームがもちろんあるわけだが、英字紙にはPipeとなっていたりタイ字紙もPipeとPikeに分かれていて混乱していた。選挙期間中は母親のそばにいて母親の魅力をさらに引き立てていたパイク君は母親の勝利に大きく貢献したことはタイの人々も認めることである。11日に小学校で開かれた母の日の記念行事でパイク君から贈り物を送られたときには母親はうっすらと涙を浮かべていたということである。この時パイク君が書いた母親への手紙は次のとおりである。
"ถึงคุณแม่ ไปค์ขอให้คุณแม่สำเร็จในสิ่งที่คุณแม่หวัง ขอให้คุณแม่สุขภาพแข็งแรง ไปค์รักคุณแม่มาก รักที่สุดในโลกและขอให้มีความสุขครับ ลูกไปค์"
お母さんへ、パイクはお母さんが願っていることが叶うことを祈っています。健康には気をつけて幸せになってください。世界で一番愛するお母さんへパイクより。
ニックネームについては新聞記者が直接パイク君に聞いたようで「パイクという名前は魚の一種でPikeだよ」ということである。この一家のニックネームはすべてPから始まっていて父親のアヌソーン・アモンチャット氏はPOPで母親はPUことジンラク・チナワット第28代タイ国首相である。ジンラク首相の課題は重く亡霊に振り回され続けたこの5年間の人々の痛みを母親の視点からどのように癒すことができるのか、そして6,700万人の国民をどこに連れていくのかということだと思う。
<เด็กเร่ร่อนจรจัด>
<ストリートチルドレン>
新しいジンラック政権にとっての課題は最低賃金300バーツ、大卒の給料15,000バーツと公約を実現することも大切だが本当の人として早急にも解決すべき問題は子供の問題で教育制度内の問題、教育制度外の問題を含めた教育の問題だということである。この課題を背負っているのは教育省、社会開発人事安定省、保健衛生省という3つの大きな省庁だということである。これらの省庁が早急に手を差しのべなければならないグループは次の15グループということである。
*ストリートチルドレン 30,000人
このうち政府機関と民間機関により援助を受けているのは5,000人で残りの子供は援助を必要としているということである。
*国籍がない子供 200,000~300,000人
*外国人労働者の子供 250,000人
*エイズに罹災した子供 50,000人
*母親が未成年の子供 100,000人
*孤児 88,730人
*15才以下で労働に従事している子供 10,000人
*18才以下で性風俗店で働かされている子供 250,000人
*薬物中毒の子供 10,000人
*年間収入2万バーツ以下の貧困家庭の子供 2,978,770人
*辺鄙なところにいる子供 160,000人
*学習能力に欠け情緒不安定な子供 2,500,000人
*障害がある子供 100,000人
*最南部3県に住んで学校に行く機会がない子供 60,000人
*事件を起こした子供 60,000人
さて選挙期間中からジンラック首相の本はではじめていたが本屋に行くと5-6冊になっていた。しかしまだ首相になったばかりなので書くこともないのか薄っぺらな本が多いが「アメージング・ジンラック」という本を買ってみた。この本の中で印象に残ったのは学生の頃は外交官になりたかったことと、結婚した頃から子供が欲しかったがなかなかできず6-7年経った34才になってできたときは夢のようでほんとうに嬉しかったということである。選挙期間中の写真を見ていると子供を見つめている時と接しているときの彼女の表情には心から子供が愛しいという気持ちがあふれていたのがこの本のおかげで分かったという次第である。
<ชินวัตร>กับ<ชินวัตดำรงค์>
<チナワッット>と<チナワットダムロン>
ブリラム県で催されたナーイヤイことタクシン元首相の62才の誕生日では、ブリラム県で有名なクメールの占い師が現れナーイヤイタクシンの名の方はいいが姓の方はくたびれ損の一生になるのでチナワットの最後にある読まないロールアを省いてダムロンを付け足すといい名前になりタイへの帰国が早期に実現できるということである。
2006年のクーデター以来、海外に住むことを余儀なくさせられているナーイヤイタクシンの誕生日を見ると2007年7月26日の58才の誕生日はロンドンに来たタイラックタイの党員たちと賑やかな誕生日を迎えている。2008年2月初旬に裁判を受けるために帰国したときの空港でタイに帰れた感激から空港ロビーでいきなりひざまずきタイの土に感謝をする(写真)。その年の59才の誕生日はタイの習慣通り家族とともに僧侶への布施をして午後はパランプラチャーチョンという名前に変わった党員たちがお祝いに駆けつけた。それから何ヶ月も立たないうちにナーイヤイタクシンは中国で開催されるオリンピック式典に参加するという名目で裁判所からの許可を得て出国したままになる。2009年の60才の誕生日はそれ以来住むことになるアラブ首長国連邦のドバイで家族だけで静かに迎える。2010年はスリランカにある1,000年の歴史がある古刹で誕生日を迎える。そして今年2011年の62才の誕生日は、タイの各地で催された赤服による祝賀会とは反対にヨーロッパの寺院で家族だけで祝ったということである。そしてヨーロッパの国ではドイツが一番にタクシン元首相を入国させないという規制を解除したようである。タクシン元首相の法律顧問であるノパドン元外相によると入国拒否という規制はアピシット政権の誤った情報ででていたものでこれからも他の国での規制が解除されていくということである。
<คำสั่งมาตราการชั่วคราว>
<臨時措置布告>
オランダのハーグにある国際司法裁判所はタイとカンボジアの国境紛争で臨時措置に関する布告をだした。これはあくまで臨時措置で判決ではないようである。カンボジアが要求している1962年に同じく国際司法裁判所がだしたプレアビヒアをカンボジア側だとする判決の解釈については何ヶ月か先になるようで、それにより国境線が決まるのかそれとも裁判所は解釈をしないのかまだ決まっていないようである。布告は臨時措置が4項目で一般的な布告が3項目あるようである。
臨時措置布告
1,分水嶺から測ってタイ側に8.5㎢、カンボジア側に8.8㎢の全体で17.3㎢が非武装地帯になる。
2,カンボジアは自由にプレアビヒアへ行き来することが出来、タイは邪魔してはならない。
3,アセアンの枠内での協力とアセアンからの監視団を認める。
4,タイとカンボジアの関係が悪化するいかなる行動もこれを排除する。
一般的な布告
1,国際司法裁判所はカンボジアからの訴訟を継続して審議する。
2,両国は臨時措置布告の実施状況を国際司法裁判所に報告する。
3,新しい事実と異議がある場合は国際司法裁判所に対して再審議を要求することができる。
さて大切な非武装地帯からの両国軍の撤退であるが、タイ側は監視団を含めた3者会談で撤退時期を決めるとしていてフンセン首相も同じような考えで会議の主催はカンボジアがやってもいいと言っているようである。いずれにしても会議はタイ側の外相と国防相が決まってからになると思うが、フンセン首相をマフィア呼ばわりしたパンタミット枠のガシット元外相がいなくなって会談はよりやりやすくなったと思うがどうであろうか。ガシット元外相は先日パンタミットと共に国際空港2ヶ所を占拠した罪状で検事局に告訴されたようで、この裁判に出席していたガシット元外相はタイに帰ってきてさっそく警察に報告に行ったようである。タイのマスコミでのこの人の評価は2年余りの任期の前半を外務省の力で各国に圧力をかけタクシン元首相を追い回し後半はカンボジアとの争いに明け暮れただけというおかしな外相ということである。
写真は国境の地図で青線がカンボジアが主張する国境線。
赤線がタイが主張する国境線。橙線が非武装地帯である。

<ด.ช. ด.ญ.>กับ<นาย. นางสาว.>
<少年 少女>と<ミスター ミス>
法律の改正により7月10日から始まったタイの人たちが所持するIDカードは15才から作っていたのを7才から作るようになったようである。IDカードの名前の前につく敬称は7才から14才までが少年、少女で15才になるとミスター、ミスになるようである。ただ女性に限り結婚して籍を変えるとミセスになるであるがそれがいやで結婚をしても籍を変えないひとが多いと聞いたことがある。大切なIDカードでもし所持していないのが見つかった場合は200バーツの罰金を課せられるということである。しかし多くの子供たちは母親に預けておくので罰金はないようである。
7才から14才の子供たちは800万人いるようでかかる費用は人件費を除いても2億バーツ以上ということで反対の声も上がっているようだが大部分のタイの人たちには受け入れられているようである。それに子供たちは大人が持っているものに憧れるので喜んでいるようである。これまでは子供たちが国のサービス等を受ける場合は出生証明書か住民票を示す必要があったのが1枚のカードになり便利になったということである。では国と子供たちにどのような利点をもたらすのか内務省管理局の説明によると次のようである。
1,国民の情報を管理することでの国の安定
2,他人の権利を侵害する行為を防げる
3,医療、教育等の国のサービスを受けるのが便利になる
さて一番心配なのは孤児になった等の理由で<เด็กเร่ร่อน>と呼ばれるストリートチルドレンになる子供たちであるが反対にIDカードを作る機会がなく国のサービスを受ける権利がなくなるのではという点については管理局は各自治体や協力機関の助けを借りてくまなく子供たちのIDカードを作ると言っているがどうなるのであろうか。
IDカードのことを調べていて気づいたのは識別に用いる13桁の数字には国籍の取得手順や登録地区の情報が収まっているということであるがタイの人たちはこの数字を使って大好きな占いをやっているようである。写真は1943年から使われた第一世代のIDカードでバンコクだけで使われていたようである。
<สอยก่อน>หรือ<สอยหลัง>
<先に剥奪>か<後で剥奪>
国会議員の認証において選挙委員会は委員会の審議で剥奪するか、それとも認証した後に裁判所で剥奪するのかということで先か後がで混乱しているようである。本来の意味は<สอย ソーイ>と読んで竹竿で果実を摘みとることをいうようで<สอยดาว ソーイダーオ>となると竹竿で星をもぎ取るという意味になる。チャンタブリーにはソーイダーオ山があり何年も前になるがこの山のそばを車で通ったときに一緒に乗っていたタイの人がこの山の頂上では竹竿を使って星がとれると聞いたときはきれいな名前の山だなと思ったことがある。タイトルのソーイを剥奪としたのは議員資格に関してのことだからである。
選挙委員会による当選議員残り142人の審査が手間取っているのはジャムローン氏を中心としたパンタミット勢力が選挙結果に不服を唱えていて選挙委員会は慎重になっているということである。パンタミットは今回の選挙をVote Noという方針のもとに棄権投票を呼びかけていたがそれほど効果がなかったのか、今回の選挙は国を買収する選挙で主な6政党の解党を狙う戦術に変えたようである。有権者の75%が投票した選挙を無効だとする戦術はまともな人には相手にされないだろうが、まともでないパンタミットなので選挙委員会は恐れているようである。
2006年のパンタミットによる反タクシン集会はクーデターのきっかけになったのが然り、2008年の首相府占拠から各地の空港占拠然り、この時のスワナプーム空港を占拠した影響は計り知れないのに占拠したパンタミットの裁判は続いているのかいまだに判決は出ていない。この空港占拠についてパンタミットは占拠ではなく空港で集会を開いていると空港側が勝手に空港を閉鎖したということである。パンタミットの考えは保守で勢力と支持基盤を見ると一介の右翼団体にしか見えないのだがどのような力が背景にあるのか疑問である。
<อำนาจนอกระบบ>หรือ<มือที่มองไม่เห็น>
<民主主義制度外の権力>か<見えない権力>
選挙も無事終わり1週間以上が過ぎたにもかかわらず選挙委員会が500人の当選議員のうち358人しか認証しないのは、2006年のクーデター以降の5年間に何度も出てきた亡霊のような権力が動き出し選挙委員会の認証が遅れているというのが多くの国民の考えである。選挙期間中の噂では選挙委員会が民主党を勝たせるためにプアタイ党当選議員のうち23~25人にレッドカードが出されるというのが事実になるとすればプアタイ党当選議員265人の過半数でもっての連立構想が無くなる可能性も出てくる。選挙委員会の認証が遅れているのは選挙違反についての異議があり周到に検討しているという意見もあるが、では選挙委員会にどのような異議が出ているのか分かっているだけ羅列してみた。
1,เครือข่ายต่อต้านทุจริตคอร์รัปชั่นแห่งชาติ
国家不正汚職摘発グループによるプアタイ党への異議
2,เครือข่ายพลเมืองอาสาปกป้องแผ่นดิน
志願して国を守る市民グループによるジャトゥポン氏への異議
3,パンタミットの中心人物ジャムローン氏による各政党への異議申立て
これらは見える権力でこれ以上の見えない権力とは何なのか、また選挙結果と国民の意思に反してまで守ろうとする権力はどのようなものなのか、特殊階級、特権階級が財産と名声を維持したいのか、それとも何度もあったことだが交通事故等で人を死なせても特権階級は訴えれないという影響力を維持したいのか、マスコミもそろそろ<見えない権力>などという書き方を改めてはっきりと国民和解というロードマップに載せるべきという気がする。
まだ認証されていない議員の中にはジンラック首相とアピシット前首相もいてもしジンラック首相が認証されないときはタイで初めての女性首相も消え失せ女性首相の誕生を歓迎した各国元首を失望させやはりタイはアメージング・タイランドだと思われるだけではすまないような気がする。
<ยาม้า>กับ<ยาบ้า>
<ヤーマー>と<ヤーバー>
どちらも麻薬のことでアンフェタミンから作る覚醒剤である。元々は<ยาขยัน ヤーカヤン>と呼ばれ勤勉薬ということで徹夜で仕事や勉強をする人のイメージで使われていたが、長距離トラックを運転する運転手や肉体労働者が馬力が出るというイメージから<ヤーマー 馬薬>に変わったようである。しかし力が出るというイメージでは中毒者が増えるということで時のチャワリット政権のサノー・ティエントーン内務大臣は気狂いになる薬なら中毒者も減るのではということで<ヤーバー 気狂い薬>という呼び名に変えたということである。
この名のとおり気が狂うようで9日にはバンコク都内のクリーニング店で店主夫婦の2歳の子供が薬で酩酊状態になった従業員の男(47)にナイフで刺され死亡したというなんとも言えない悲惨なニュースがあった。犯人が重罪になるのはモチロンのことだがこのような事件がなんども過去にありヤーバーが地方にも蔓延しているというのはここ何年かニュースになっていたはずなのになんら有効な措置もとらなかった民主党政権で治安担当大臣であったステープ・トゥアックスバン副首相の責任は大きいと思う。<パオバーン パオムアン>家を燃やし街を燃やしたと連日のように叫び続け赤服グループを攻撃しただけで国民が一番重大に考えている麻薬問題を野放したこの人のおかげで民主党は選挙に負けたのだろう。
選挙後に行われたアサムプション大学のエーベックポールで国民は新政権に何をやってもらいたがっているかの順位は次のとおりである。
1,麻薬撲滅
2,和解をして平安無事な国になる
3,ガソリン価格を下げる
4,30バーツで医療が受けられる制度の復活
5,最低賃金1日300バーツの実現
※ 写真はヤーバーがタイに入ってくる経路である。
<พี่ใหญ่>กับ<นายใหญ่>
<ピーヤイ>と<ナーイヤイ>
初めのピーヤイは大きい兄で長兄のこと、普通は階級に応じて上の人ならピーで下の人ならノーンと呼ぶようだが、こちらのヤクザ映画などを見ていると兄貴という感じで使っているようである。次のナーイヤイのほうはナーイが長、頭、主人、旦那という意味なので大旦那という感じかもしれない。今のところニュースでナーイヤイと一番良く呼ばれているのはタクシン元首相である。選挙以降はテレビにも出るようになり新聞でも紙面の半分を使ってインタビューを載せている新聞もある。これまでは直接出るようなことがなかったような気がするがやはり検閲に引っかかっていたのだろうか。今日の新聞ではアラブ首長国連邦のドバイにあるコーヒーショップで「人というのは友人といるべきで、もしいないなら今の私のようだ。一人でいるのは死ぬほど寂しくどこへ行けばいいのか誰と話せばいいのか、暇なときにいつも来るのがこの店なんだ」とタクシン元首相は心の中を語っている。しかし今回の選挙期間中の新聞を読んでいるといまだに影響力はまったく衰えていないようでナーイヤイそのものである。現在紛糾中の閣僚指名争いで不満のある議員はドバイ詣でをするということである。
写真は発売されたばかりの今週の週刊マティチョンでタイトルはเราชนะแล้วพี่จ๋าで訳せば「兄ちゃん私たち勝ったわよ」ということである。タクシン元首相は10人兄弟の長男で末っ子のジンラック首相とは18才の差があり自分の子どものように可愛がってきて一番信頼を置いているようである。
<แซ่คู>
<セークー>
セークーと読みセーは漢字では姓でクーは丘である。タイに住む中国系の人たちで名はタイ風にするが姓はこのように中国風にする人も多いようである。1938年チェンマイで絹の商売で成功していたサックはセークーという姓をタイ風のチナワットに変えてサック・チナワットと名乗るようになった。サックの世代からチナワット家は華僑色を弱め同化の傾向を見せ始め官僚になるものもでてくる。このサックの孫がタクシン元首相で彼も丘達新という中国名を持っている。そしてアピシット前首相も客家で三国志で有名な袁紹と同じ袁(Yuan หยวน)という姓を持っている。
選挙の勝利宣言から連立する政党も決まり299議席で政権を運営していくことになったジンラック首相であるが、当初はビジネスを続けたかったようであるが今回が最もいい機会であるということでタクシン元首相に説得されたようである。この抜擢はタクシン元首相が予想した以上に国民の人気を呼び起こし圧倒的な勝利になったようである。しかし彼女の能力を疑う人もいるが仕事が出来るというのは確実だと思う。それは彼女もタクシン元首相と同じく客家の4代目だからである。
中国が清のとき1850年から1864年にかけて広東省、広西省から始まった太平天国ではこの辺りに住んでいた客家が中心になっている。太平天国の指導者である洪秀全は広東省花県の客家で主な指導者も同じく客家である。太平天国の軍は男性団営と女性団営がはっきりと分かれていて女性も戦闘に参加したようである。大切なのは客家の女性はそのころ中国にあった習慣であるてん足を絶対せずに働き者であったということである。
※ てん足、纏足
中国で、女性の足を大きくしないため、子供のときから親指を除く足指を裏側に曲げて布で固く縛り、発育をおさえた風習。唐末ごろに始まり、宋代から流行したが、清末に廃止運動が起こり、清滅亡後消滅した。
<พรรคเล็ก>กับ<พรรคใหญ่>
<小政党>と<大政党>
選挙のあとの7月4日のテレビ番組「ジョカーオデーン」でチャートパッタナープアペンディーン党のスワット代表相談役は、7議席に減ったという悪いこともあったが連立与党に参加できいいこともあったのではという、番組進行役のソラユット氏の質問に間髪を入れずに、すべては国民にとって良いことで選挙が無事終わり民主党もあっさりと敗北を認めプアタイ党は過半数を得たことで安定するだろうし、今日の株価の上昇を見ると外国資本もタイが安定すると判断して投資も増えるだろう。しかし選挙結果を見ると中小政党にとっては厳しい状況でこれからは2大政党のもとで地元により密着した活動をやって行くしかないのではということである。
今回の選挙結果を見ると34議席のプームジャイタイ党はブリラム近辺で19議席のチャートタイパッタナー党はバーンハーンブリーとも呼ばれるスパンブリーが中心で7議席のパランチョン党はこれもガムナンポォが支配してきたチョンブリーで同じく7議席のチャートパッタナープアペンディーン党はチャートチャーイ・チュナハワン元首相から因縁深いコラートになるだろう。では2大政党はどうかというともちろん民主党は南部でプアタイ党は北部と東北部ということになり、バンコクはその時のフィーバーにより変わっていくということだろう。原因として考えられるのは制度上では今回からまた小選挙区制になったことに求められるが民主党が東北部イサーンに入り込めないのは、この党にあるエリート主義というか地方、田舎への差別と蔑視だと思う。おそらくアピシット元首相はイサーンのことはまったく分からないし理解しようともしていないだろう。民主党党首を辞めたあといずれは国連機関に行ったスパチャイ氏やアセアンに行ったスリン氏のように国際機関へ行くような気がする。
<ยิ่งพูด ยิ่งรัก>
<喋ればしゃべるほどますます好きになる>
今回の選挙期間中に見かけた雑誌の表題でジンラック女史が演説すればするほど好きになる人が増えてきたということをタイ語の基本文型であるยิ่ง...ยิ่ง…~すればするほどますます~というのを使い語呂合わせをしているのだと思う。初めてスージット先生からタイ語を習ったときはยิ่งมากยิ่นดี(多ければ多い程良い)と習ったのを思い出した。
選挙の結果であるがまずは3日のテレビにでていたラックプラテートタイ党のチューウィット党首の話からする。当初は2議席がやっとだと思われていたが4議席になったチューウィット党首は気を良くしたのか民主党の敗因を述べていた。一番の敗因は国民の生活で一番大事な生活必需品の品薄と高騰を解決できなかったことで二番目は92人の死者をだしたことに対する責任をとっていないことだということである。これは敗因でプアタイ党を勝たせてしまった理由はプアタイ党とジンラック首相の一番の欠点を45日間の選挙期間中の当初から攻撃せずに終わりの頃にやっと始めたということである。一番の欠点とはタクシン元首相で彼の考えではジンラック首相はタクシン元首相とDNAを同じくするクローンであるということである。今のところはそうだとしても何ヶ月か先には変わってくるだろう。
タイの未来を決める大切な選挙結果はプアタイ党265議席、民主党159議席でプアタイ党は過半数を超えてタイで初めての女性首相が登場することになる。有権者数は4,700万人でその内の74%の3,480万人が投票に参加したということである。
この5年間、タイの人たちを無視して好き放題にしてきた「見えない権力」は何らかの方法を考えていると思うが3,480万人の意思を無視するなら今回こそは墓穴を掘ることになると思う。
<อนาคตประเทศไทย ใต้ฟ้าเดียวกัน>


<同じ空のもとでのタイの未来>
写真は7月1日にバンコクの2ヶ所で開催された民主党とプアタイ党の最後の選挙演説でこの時の民主党のスローガンは<同じ空のもとでのタイの未来>ということで民主党には学者と法律家が多いと聞いていたが詩人もいたのかと思うようなスローガンではある。ちょうど夕方の5時に始まったときには雨が降り始め両首相候補が舞台に上がる7時には大雨になってきたが、東北部126議席、南部53議席を両党がどれだけ獲得できるかは予測できているはずで大切なバンコクの36議席を獲得するために雨の中での最後の演説で国民に訴えている二人を見ていると選挙は本当にいいなと思いを深くした次第である。
政治を変えるのは選挙であって戦車ではないはずと強調したのはプラティープ女史であるが、2006年9月19日に戦車をバンコクに入れた当時のソンティ陸軍司令官はマートゥプーム党を結成して党首になっているが、今回に選挙運動期間中のテレビのインタビューで戦車をバンコクに入れたのは民主主義に基づいた改革だと言っていたので驚いたことがある。戦車のあとにはテレビのすべてのチャンネルが真っ暗になり少しすると今まで見たことのないアナウンサーが出てきて声明を繰り返して読み上げている。今回調べるとアナウンサーはプラパート氏でクーデターの声明を何度も読み上げたことのある有名なアナウンサーだということである。他のチャンネルに変えても同じ画面で好きなチャンネルを見ることができるのが民主主義だとすれば戦車でなく選挙で国の指導者を選んで欲しいというのがタイの人たちすべての願いだと思う。
<วิสัยทัศน์ ประเทศไทย 2020>
<2020年タイのビジョン>
すべての尊敬して愛するタイの兄弟達へ、そろそろ投票日です。国の経営を担う各々政党が国と国民をどの方向に連れていこうとしているのか兄弟たちは知りたがっていると思う。そこで私(ジンラック候補者)は先進国と競争ができる2020年のタイのビジョンを示すことにしました。今回の選挙でプアタイ党が公約する政策をプアタイ党のもとで継続してできるなら2020年にはタイはどのようになっているのかは次のとおりです。
1,GDPは8,000億ドルになり国民のすべてが貧困ラインを超えた収入を得ている。すべての家族は家を持つことができ農民は自身の土地で生活することが出来ている。
2,1日の最低賃金は1,000バーツになり大卒の新入社員の給料は30,000バーツになっている。
3,すべてのタイ人は健康で安全な食料があり最新医療を受けることができ、全国どこでも運動とスポーツができるようになる。そして麻薬は撲滅されている。
4,若者は道徳と美徳をともなった最新の教育を受けることが出来ている。
5,起業家と実業家は現在の2倍になっている。
最近のタイ字紙マティチョンに掲載されたプアタイ党の2020年における構想であるが、未来を語れるのはいいことだと思う。9年先のことであるが自分の子どもが大きくなっていくタイ社会がこのようになっていたらとつくづくと願ってやまない。写真はまたジンラック女史が子供を見つめている写真にした。いろんな選挙演説における彼女の写真を見たがやはり子どもを見ているときが一番いいように思う。多分彼女もこの子供たちの未来を考えてビジョンを作ったのだと思う。

<โหวตโน>
Vote No 棄権投票
パンタミット(黄服集団)がやっている選挙キャンペーンで写真にあるスローガンは「野獣を放して議会に入れるな」ということであるが、犬、オオトカゲ、水牛はタイの会話の中で相手を罵る言葉として使われるので分かるのだがサルとトラは付け足しのような気がする。選挙管理委員会はこれらのポスターを違法として撤去しようとしているようだが効果はないようである。棄権投票はまだましで過去には議会制民主主義のもとでの政党にもかかわらず選挙候補者を立てずに選挙を無効にさせてしまった政党がある。
2005.02.06 タイラックタイ500議席中の375議席を獲得して選挙で圧勝
2006.02.24 強力な政党を嫌う圧力のもとに下院解散
2006.04.02 民主党がボイコットをした下院選挙
2006.09.19 クーデター
2005年の選挙で96議席と大敗した民主党は選挙では勝てないのを悟ったのか2006年の解散選挙をボイコットしてしまう。この時期はタイラックタイを率いるタクシン元首相の強権政治に嫌気をさす国民も出始め選挙ではどのような結果がでたかもわからないにもかかわらず民主主義の基本である選挙をボイコットした民主党はこれ以降は選挙以外の権力または民主主義の外にある権力に依存していくようになっていく。今回の7月3日の選挙に向けて民主党は敗北を意識したのかそれまでの政策キャンペーンを和解からはほど遠くなるネガティブキャンペーンに変えた。タクシン元首相を攻撃するだけで国と人々の未来を描き出せない民主党は2006年の選挙をボイコットした時点で下院議員も選挙ではなく任命制によるというパンタミットの考えに傾き民主主義を放棄したのかもしれない。

ข้าวยากหมากแพง
<Khaao Yaak Maak Pheng>
最近の新聞によくでてくることわざで「コメは入手し難く木の実は高価」 という訳になり食料が少なく物価が高いという意味である。Maakはキンマと一緒に噛むビンロウジと思っていたら本来の意味は 木の実だということである。食料自給率150%のタイで食べ物が 不足しているとは考えられないのだが、アピシット政権では実際に 食用油と卵がスーパーの食品棚から無くなったことがあった。
選挙運動も最後のカーブにかかり各党の党首は選挙応援演説で 各地を回っているが、これまでは警察と軍のガードに囲まれ国民と 直接に接したことがなかったアピシット前首相はここに来て国民から 演説中に罵声を浴びているということである。一つは物価の問題で もう一つは昨年の赤服集会を鎮圧した際にでた91人の死者と2,000人の負傷者そして未だに刑務所にいる300人の逮捕者、特別調査委員会を立ち上げ1年間もの期間を調査しても 誰が命令をして誰が国民を殺したのか分からないということである。
アピシット前首相の答えはいつも赤服集会側に黒服を着た訓練を
受けたガードがいて彼らが発砲したので軍は発砲し返したという
あいまいな返答ばかりで黒服のガードが逮捕されていない状況では
このまま真実を隠し通そうとする意思が国民にはみえみえのようである。
どうして国民に向けて発砲したのか、どうして実弾を使ったのか、 いったい誰が命令を出したのか、アピシット前首相はどこに行っても 国民から問い詰められるし、 また生涯をかけて問い詰められる 重大なことで彼がどこまで答えられるようになるかという重大な 選挙だと思う。
<พูด> vs <ทำ>
<おしゃべり >と<行動>
市場をぶらぶら歩いていると新聞を売っているカウンターに雑誌があり<พูด> vs <ทำ>という大見出しが目についた。これは7月3日に行われる選挙に関してのことでおしゃべりは民主党で行動はプアタイのことである。プアタイの首相候補がタクシン元首相の妹ジンラック女史になったことにより民主党の党首であるアピシット前首相はさっそくディベートをしようと新聞紙上で誘いかけたようである。しかしなんら政治経験もないジンラック女史がディベートに自信があるアピシット前首相に敵うわけがなくプアタイではディベートではそれ以上に迫力があるチャローム氏をたてようとしている。このディベート上手であるが国民に言わせると民主党はおしゃべり上手で行動がないということである。
この1年間、新聞から遠ざかっていたがここに来てやっと新聞を読むようになり社説が面白いということでマティチョンを毎日買って読んでいる。5月19日にラーチャプラソンで開催された赤服集会1周忌を受けた20日のマティチョンの社説をかいつまんで書くと次のようなる。
昨年の5月18日までには政府と赤服双方で和解に向けた話し合いが進んでいたのにどうして政府は急に武力で鎮圧したのか、その結果、92人もの死者を出してしまった。そして1年経つのに真相は隠されたままである。今回の選挙が民主党とプアタイとの対決だと考えるのは間違いで真相を隠し通そうとするグループと真相をはっきりと国民に知らせるのが当然だと考えるグループの対決の選挙であるということである。
พายุฤดูร้อน
夏の嵐
今日も朝から雨、1週間前には3日続けて雨がふり気温も
冬に戻ったように17度まで下がり、どうして3月の乾季に
雨がこうも降るのかよく分からないが異常気象なのかもしれない。
しかし以前のように乾季は雨がふらず5月ころに初めてふる雨に
喜んだような天候のメリハリがなくなったような気がする。
この天候を気象庁ではどのように呼んでいるのかと思うと
次のとおりで「夏の嵐」でした。
中国大陸から拡がってきた高気圧が南シナ海とタイ東北地方を
覆いはじめている時期にタイでは高温、高湿度の気候により
夏の嵐が発生しているということである。

<ขัตติยะ>กับ<ขัตติยา >
<カティヤ>と<カティヤー>
前のほうは5月13日に赤服集会で狙撃されて亡くなったカティヤ・サワディポン少将で次は彼の一人娘であるカティヤー・サワディポン弁護士である。名前の最後が短母音と長母音という違いだけで面白い名づけ方もあるものだなと思ってタイの友人に聞いてみると、それほど珍しくもないということで短母音のカティヤは男の名前でカティヤーと長母音になると女の名前になるということである。おそらくカティヤ少将は目の中に入れても痛くないほどに一人娘を可愛がっていたのだろう。父親は赤服を応援して娘は黄色の集会に参加していたということである。カティヤ少将の履歴を見ていると軍人になってからチュラーロンコーン大学教育学部、シーパトム大学法学士、ニダー・ビジネススクール社会開発学部修士、ラムカムヘーン大学経済学士、フィリピンの大学の経営学部博士と軍とは関係のないような勉強ばかりをしている。いったい軍人生活と学生生活をどのように両立させたのか不思議なところである。カティヤ少将にとってラーチャプラソンの赤服集会はお祭りではなかったのかという気がする。集会場にはいろいろな店が出ていて小さい頃に絶対行ったはずであるお寺の祭りを思い出していたのではないだろうか。そして悲しいことにカティヤ少将が狙撃されて祭りは終わり、新しくテロとの闘いが始まったということだろう。おそらくバンコク住民にはお寺の祭りに行くような余裕はなくなりタイはタイではないようになっていくのだろう。
カティヤ少将のニックネームはセート・デーンである。セートはセーナティガーン(参謀)から来ていてデーンは赤であるが、日本のマスコミにあるように「赤の参謀」ではなく彼の生れたときからのニックネームが一般的なデーンなので「デーン参謀」と訳したほうがいいという気がする。